Swami Anand Arun

ネパールのOsho :弟子のマスターへの献身、明け渡し、揺るぎない愛の物語
 
 

 

スワミ・アナンド・アルン氏はネパール・カトマンドゥーのジャナクプルに生まれ、幼少の頃から精神世界(真理)への深い探究心がありました。
この精神的な(真理への)探求の旅において、沢山の瞑想家や精神的指導者たちに出逢いましたが、彼の真理への渇望を潤すことはできませんでした。

スワミ・ アナンド・アルン氏の職業は建築技師で、カトマンドゥーで「Building Design Authority」という建築コンサルタントに従事し成功を収めました。

大学在学中1969年3月29日にOSHOにはじめて逢ったとき、ずっと長い間探していた魂にやっと出逢うことができたとアルン氏は強く感じ、同年10月にOSHOが直接リードするインドのDwarikaで行われた最初のキャンプ「Mein Mrityu Sikhata Hun”」に参加しました。
その後1974年インドのプーナコミューンが創立されてから、アルン氏はOSHOからネオサニヤシンとしてイニシエートされます。

 

 

Oshoにネパールにメディテーション・センターを作るように指示をうけ、
1974年にネパールで最初のセンター「Asheesh Rajneesh Meditation Center」
をカトマンドゥーのTahachalで立ち上げます。
これがネパールでのOSHO Movementの始まりです。

1974年インドでアルン氏自らがリードした最初のメディテーション・キャンプを始めてから10年後の1984年1月29日にOshoは彼をAcharya/Bodhisattva(菩薩)であると宣言し、1986年11月インドのボンベイで彼をRajneesh Mystery Schoolの系列下の瞑想と精神的成長の指導者に命じました。

また今日まで90ヶ国の異なる国々からおとずれた
おおよそ10万人の探求者達をOSHO ネオサニヤースに
イニシエートしています。

ネパールにある6ヶ所のOSHOコミューンと75ヶ所の瞑想センター
そしてアメリカにある1ヶ所のコミューン
50ヶ国の異なる国々の150ヶ所の瞑想センターに
助言をおこない、導いています。

 

下記スワミ・アナンド・アルン氏の記事

My First Meeting With My Beloved Master (Oshoとの初めての出逢い)

Whole Nepal will become my color 「ネパール全土が私の色に染まるだろう。」