Bayazid Bastami
バーヤズィード・バスターミー(〜874)
イスラーム神秘主義の大導師で、イラン最大の神秘家の一人。何年もの旅と禁欲・苦行の後、故郷バスタームに帰り、大半の生涯をこの地で過ごした。七十数歳で没し、この地に葬られた。彼の廟は、神の人たる神秘家の巡礼地となった。イスマイル派の思想家、詩人のナーセル・ホスロー(1088年没)もここを訪れたという。彼は存在の絶対的単一性を信じ、イスラーム神秘主義におけるファナー(神秘的合一の境地。自我消滅をいう)体験の最初の理論家であった。彼の言葉、特にその酔言(陶酔の境地の極点にあって、完成・成熟した神秘主義者の口をついて流出する、表面的にはイスラーム聖法に反するような言葉)の数多くが今日まで伝えられている。
また、バスターミーは、
「神の僕にとって、何もない、ということ以上のことはない。禁欲も、知識も。行為も、すべてが無に帰せば、すべてに与かる」
「知には、ウラマー(イスラーム法学者)の知らぬ知があり、禁欲には、禁欲主義者の預かり知らぬ禁欲というものがある」
など、自らの心的境地の言説化に優れた、自覚的な「表現者」でもあった。
かの神秘家たちを統べる王、霊知顕現の主たちの証、神の代理者(カリフ)、無限の知見有する首長、失意の俗世にあった神に達せし成熟者、時代の導師、アブー・ヤズィード・バスターミー——神代彼を赦したまえ——は、導師の中の最大の者、神の友たる聖者の傑物、神の証、正当なる代理人、世界の枢軸(クトゥブ)、神秘会の楔の源泉。彼の苦行、奇蹟(カラーマート)は非常なるもの、神秘界とその真理に透徹した見識を持ち、弛まぬ修養の持ち主。絶えず、神の近くにいて神を畏怖し、神の愛の炎の中に沈み込み、常に肉体を苦行に曝し、心は神の観照の中においていた者。
彼の逸話は高邁な伝承の中に収められている。彼以前には、神秘道の深奥の意味について、彼ほどの洞察を示した者はいなかった。この求道の途上にあって、彼こそが、荒涼の俗界に超然と挑戦の旗をたてたのであった。彼の完全なる徳は決して隠されているものではない。
かのジュナイド——神よ彼を赦したまえ——でさえこう語っているほどである。
「バーヤズィードはわれわれの間では、天使たちの中のガブリエルのような存在である。……唯一なる神を目指す神秘道を旅行く者たちが辿り着くのは、バーヤズィードという一つの完全なる領域の始めの地点でしかなく、その彼の最初の一歩に達する者たちは、皆が皆、そのまま卒倒し、絶命し、そして、消滅してしまうのだ」
こうした言葉が生まれるのは、バーヤズィードがこう語っていたことによる。
「我の如き薔薇一輪が開花するに、庭園に二百年の歳月が過ぎよう」
尊師アブー・サイード・アビル・ヘイル——神の慈悲よ彼にあれ——はこう語った。
「一万八千世界がバーヤズィードで満たされていながら、そこにバーヤズィードはいない」
つまり、バーヤズィードたるものは、神の中に消滅しているというのだ。
出典:「イスラーム神秘主義聖者列伝」(ファリード・ゥッディーン・ムハンマド アッタール 著、藤井守男 訳、国書刊行会)