わたしのサニヤシンは瞑想する者であると同時に、愛する者であらねばならない。
瞑想と愛は、互いに支え合うエネルギーだからだ。
あなたが愛すれば、あなたはもっと深く瞑想に入っていくことができ、
あなたが瞑想すれば、あなたはもっとトータルに愛することができる、
といったように。それらは互いに助け合い続け、大いに協力し合う。
そして、徐々にゆっくりとあなたの意識の中に、ピラミッドが創られる。

愛と瞑想のレンガを積み上げることによって、
存在の頂上に達することができるのだ。

瞑想しか知らない者は、何かを逃している。
愛しか知らない者もまた、何かを逃している。
全一の者は、両方を知っている。
彼は表と裏の両面のあるコインを手にしている。
彼の中には、価値あるものすべてがある。

彼の生は、驚きと美しさに満ちた現象で、
美しい歌に溢れ、恩寵に満ちた経験となる。
彼は大地の上に生きるが、大空の一部でもある。
彼は奇跡的であり、逆説的だ。
だが、そのパラドックス(逆説)において、彼は全一であり、
全一であることが、聖なることなのだ。
それがわたしの聖者の定義だ。

My sannyasins have to be meditators and lovers and together, because both are supportive energies for each other. If you love, you will be able to meditate more deeply; if you meditate you will be able to love more totally, and so on, so forth. They go on helping each other; they are very supporting. Slowly slowly a pyramid is created in your consciousness. By the bricks of love and meditation one can reach the highest peak of existence.

The man who knows only meditation is missing something, and the man who knows only love is also missing something. The whole man knows both; he has both aspects of the coin in his hands. He has all that is valuable within him. His life becomes an exquisite phenomenon, a beautiful song, a graceful experience. He lives on the earth but he is part of the sky. He is a miracle, he is a paradox, but in his paradoxicalness he is whole — and to be whole is to be holy. That is my definition of a holy man.

OSHO 《The Golden Wind》

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