雑感

ラム・ダスが亡くなった。

ラム・ダスが亡くなった。
最近徳を兼ね備えた方々が次々にボディーを離れている。

このブランケットにすっぽりと身を包んでいる御方が
ラム・ダスのグルのニームカロリ・ババ・マハラジ、

初めてこのニームカロリ・ババの写真を見たのは、
もう20年も前になるが、10代後半の時に何故か持っていたクリシュナ・ダスの初期のアルバム「Pilgrim Heart」ではじめて見た。

このブランケットのおじさんは誰なんだろうと不思議と気になった。これがいわゆるグルという存在との最初の出会いだったのかもしれない。
その後、アメリカカリフォルニア州サンディエゴに当時在ったパラマンサ・ヨガナンダの若者向けのアシュラムで20歳のときに8ヶ月滞在し、そのアシュラムでもOshoを読んでいて
そこで一緒に暮らしてた仲間にもOshoの本を貸したりしていたわけだが、もうすぐその頃から20年経つと思うと・・
隔世の感を禁じ得ないですが・・・

そのアシュラムにもクリシュナ・ダスが
まだ今のように彼が有名ではなかった時、ライブ・コンサートを行いに来ていた。

去年くらいから、瞑想をしていると
何故かニームカロリ・ババや彼の帰依者達の事が気になり、
ラム・ダスが著した「Miracle of Love 愛の奇跡」を読んだり、もちろんラム・ダスの「ビー・ヒア・ナウ」は10代の後半から何度も読んでいたが・・・

最近制作されたラムダスの「Going Home」というドキュメンタリーなどを見る。

ラム・ダス、クリシュナ・ダス、バガヴァン・ダスなど殆どの人がなんとかダスという名前で、いまでは本当に素敵なおじさま達になっている。ジャイ・ウッタールという人もいるが、ミュージシャンの方が多い。)

何が言いたいか分からなくなってしまったが、

パラマンサ・ヨガナンダジを経由して、
Oshoへと導いてくれたのは
なんかこのニームカロリ・ババなのかなと
最近になって感じている。

God-Realized (Self-Realizedではない)のグルたちは
帰依者たちをサッカーボールのようにパスしあって、
神意識というゴールへと放り込むのだという話を
ある本で読んで、おぉなるほどと思った。

ニームカロリ・ババは
殆ど教えなどというものを語らなかったらしいですが、

Sab Ek (All One)
すべてはひとつである。

Love everyone,
Serve Everyone,
Remember God.

すべての人を愛しなさい
すべての人に奉仕しなさい
神を覚えてなさい

Meditate like Christ. He lost himself in love

キリストのように瞑想しなさい。
愛の中に消え去ってしまった彼のように。

数行の言葉にとても含蓄に富んでいて、
本当の意味でこれを理解したら、他には何も要らないエッセンス。

ラム・ダスを想うとき、
いつも思い出すのはラマヤーナの一節だ。

“When I don’t know who I am, I serve you; when I know who I am, I am you.”

「わたしが自分自身を知らないとき、わたしは貴方に仕えます。わたしが自分自身を知ったとき、わたしは知ります。わたしは貴方であると。」

ボディーを離れるまで、ニームカロリ・ババの弟子であり続けながら、人々を愛し、人々に仕え、いつの頃からかババとひとつになってしまったラム・ダス、
ボディーを離れたら完全にひとつですね・・・💫

ニームカロリ・ババの大きな写真の前で
とってもいいお顔されて写っている写真がすべてを表しているのかと〜

おめでとうございます🙏
ありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。

88歳、奇遇にもOshoと同い年〜

 

ラム・ダス氏の簡単なプロフィール

1931年米国マサチューセッツ州ボストン生まれ。
本名、リチャード・アルパート。
元ハーバード大学心理学部教授として、60年代より意識の探究に取り組んでいたが、
LSDを使った実験を行ったため解雇され、その後’60年代後半にインドに赴き、
グル(導師)であるマハラジ(ニーム・カロリ・ババ)と出会い、ラム・ダス(神の僕)
という称号をもらう。

スピリチュアルな修養を積みながら、悟りへの道を模索。
約10年のアジア探究の後アメリカ帰国後は、ニューエイジ・ムーブメントの火付け役となり、
世界中にヨガを知らしめ、一貫して個人に内在する意識や心の可能性を提唱しながら、
瞑想を教え、覚醒とは何かの講演や執筆活動を行う。
かのスティーブ・ジョブズもその影響を受けマハラジに会いに行くが、
すでに亡くなったため会うことは叶わなかった。

97年に脳卒中で倒れ、身体の機能の75%を失ったが、その後奇跡的な回復を見せ、
現在もマウイ島に在住しながら、精力的に活動を続けていた。

2019年12月22日に88歳で亡くなった。

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