OSHO ディスコース(講話)

カルマパ16世OSHOについて語る 「The Silent Explosion 第11章:チベット僧院への訪問より引用」

16th Karmapa speaks to Govind Siddharth about Osho
カルマパ16世OSHOについてゴビンダ・シッダルタに語る

ラマ・カルマパ僧との謁見記
「The Silent Explosion 第11章:チベット僧院への訪問より引用」

質問:スワミ・ゴヴィンド・シッダールタ師、あなたがチベットのラマ僧の僧院でラマ・カルマパ(カルマ・カギュ派の教主である化身ラマ)聖師を訪ねたことについて、私たちに詳しく話していただけますか?
スワミ・ゴヴィンド・シッダールタ

ダージリンには僧院がたくさんあります。ダージリンに近づくと、その途上に多くの僧院が見うけられます。 私は、和尚が何度もチベットの神秘家について語るのを聴きました。彼らの超自然(オカルト)科学について、彼らがどのようにして瞑想しているかについて、そして彼らが仏陀から学んだ事柄について—。ですから、1972年6月、妻や二人の娘(13歳と10歳)とともにダージリンを旅していたとき、私は彼らの僧院を見ることに関心を持ちました。

私は、僧院についての詳細な情報を持ち合わせているダージリンの旅行会社を見つけました。彼らは、私がシッキムの首都ガントクの近くにあるルムテクの僧院を訪ねるよう、提案しました。それは、ラマ・カルマパ聖師によって統治されている僧院です。それは、チベット語で「パル・カルマパ・デンサ・シェド・ドラップ・チッホ・コーリン」と名づけられています。私はとてもそこへ行きたいと思いました。それが聖師について知るようになった経緯です。

ガントクは標高5,000フィート(1,520メートル)から6,000フィート(1,830メートル)の高地です。私が着いたとき、そこは雨季でした。そこでは雨季は5月に始まります。非常にどんよりと曇っていて、ほとんど何も見えませんでした。ムンバイの気候に比べると、そこは雨季のあいだは肌寒く感じるでしょう。

聖師の僧院は、ガントクから25マイル(約40キロメートル)ほどのところにあります。それは、インド政府の援助をかりて、シッキムのマハラジャ(藩王)によって部分的に建設されました。その場所はラマ・カルマパ聖師自身によって選ばれました。1959年の中華人民共和国による侵攻の後にチベットから来たとき、彼は自分の僧院をどこに建てたいかと尋ねられました。彼はダラムサラという選択肢を与えられ、またシッキムにも滞在するよう求められました。ダライ・ラマが既にダラムサラに居住していたので、彼はシッキムを選びました。ガントクの向かい側、ヒマラヤ山脈の標高約5,000フィート(1,520メートル)の高地で、そこはカンチェンジュンガのヒマラヤの山頂に非常に近い山頂です。その地点にこの僧院は位置しています。

それは約200人の人たちが常住している非常に大きな僧院で、彼らはすべてラマ僧(チベット人の僧侶)です。その人が放棄したのでない限り、誰もその僧院に滞在させてもらえません。「ラマ」とは、世俗の生を放棄して僧侶になる人のことです。

初めて僧院に行った時、ちょうどその時は、聖師は私に会うことができないだろうと言われました。そして彼はふつう特定の人にしか会わないが、たぶん私が会う約束をすることはできるだろう、とも言われました。後になって、私は自分の滞在しているホテルの支配人が彼をよく知っていることを耳にしました。そして彼は自分が面会の手はずを整えてあげようと言ってくれました。

翌朝、私たちは僧院へ向けて出発しました。しかし私は、電話をかけて私のために会う約束をとってくれるよう彼に頼むことを、すっかり忘れていました。後で、彼に言っておくべきだったと想い起こしましたが、ともかく私は家族とともにそこへ行きました。  私たちが車で到着したとき、僧院は完全に閉まっていました。私はひどくがっかりして、聖師に会えるのかどうか、僧院の内部を見ることさえできるのかどうかが疑しく思えました。

そのとき突然、ひとりのラマ僧がやって来て、「導師(グル)に会いたいのですか?」と言いました。  私は「はい、私はその目的のために来ました」と言いました。 彼は直ちに私を聖師のいる部屋へ連れていってくれました。部屋の中には数人の外国人たちがいて、あなたはしばらく待たなければならない、と彼は言いました。私は「待つのは平気です。」と言いました。

彼は私の名前と住所を尋ねました。私は、ムンバイから来たスワミ・ゴヴィンド・シッダールタだと名乗りました。 彼は中へ入りましたが、驚いたことには、そのラマ僧が出てきてこう言ったのです。

「聖師が中で直ちにあなたに会いたがっています。」

中へ入ると、まるで私がそこで期待されていたかのように彼に挨拶されました。そのようにして、私は彼の面前にいることになりました。

私は中に入って彼の足に触れました。彼は直ちに自分の両手を私の頭の上に置きました。これは本当に非常に稀なしぐさで、チベットのラマ僧の伝統では非常に意義深いものです。彼らの習わしに従うと、中へ入って聖師に平伏する時、彼の足にかけられているスカーフを彼に贈ることになっています。もし彼があなたの霊的な発達に関してあなたに特別な何かを感じたら、彼はその時にそれをあなたの首に掛けるでしょう。もし彼が、あなたが瞑想においていくらかより進歩していると感じたら、そのときには赤いマークが三つ付いた特別なスカーフがあって、彼はそれをあなたに掛けるでしょう。もしあなたに関してさらにそれ以上何かを感じたら、その時には彼は片手をあなたの頭上に置くでしょう。しかし最高の兆候は、彼があなたの頭上に両手を置いた場合です。彼は、そういう兆候を感じない限り、決してそれをしないでしょう。

聖師は、私が彼とのどんな約束もしてこなかったので、前もって私については決して何も知っていませんでした。もし約束していたなら私が誰であるかを知っていたでしょうが、彼は、私がサニヤシンの衣服を身に着けていること以外には、私について何も知りませんでした。

あらゆるチベット僧院において、これは日常的な慣習です。この僧院を訪れる前に私はダージリンの別の僧院を訪れましたが、そこで私はこれらのスカーフについて質問しました。なぜならあらゆる僧院でこのようなスカーフを膝の上に掛けた仏陀の聖像を見かけるからです。当然、それはヒンドゥー寺院で神の聖像に花輪を捧げるのと同じことを表わしている、と私は教えられました。それは敬意を示すためのものです。

聖師について言えば、彼は<神性の化身>であると言われています。チベットでは、誰であれブッダの境地に達し、光明を得た者が、もし自らの意志によって世界の人々を助けるために再び生まれてきたとしたら、その人は<神性の化身>—菩薩—である、と言われています。仏陀自身の時代にはブッダの境地に達している人々が大勢いましたから、あるラマたちはそういう光明を得た者たちの化身なのです。聖師は、紀元1,110年頃に生まれた初代カルマパ、トゥースム・キェンパの16番目の化身である菩薩だと言われています。彼はチベットの偉大なヨーギのひとりであるマルパにまでさかのぼる導師たちの一群から降臨したのです。

ダージリン地方でもここは、光明を得た化身であるラマがいる唯一の僧院です。現在、このような光明を得た生きているチベット人の化身(菩薩)は、みんなでたった三人しかいません。彼らは・・・

1. 現在のダライ・ラマ—至高なる者、観自在仏Chenaezi Buddhaの化身。
2. ラマ・カルマパ—観自在菩薩Bodhisatva Avalokiteshvaraの化身。
3. パンチェン・ラマ—無量光仏(阿弥陀如来) O-pa-meの化身。

この三人がそれぞれチベット仏教僧院の群の首長です。彼らのもとにあるすべてのチベット僧院は、この三人の任命した者たちによって運営されています。光明を得た化身だけが僧院教団の長であることを許されます。その唯一の理由は、光明を得ている人は他の人たちを同じ境地の達成に向けて助けることができるからです。ダライ・ラマは、チベット人たちの現世上の支配者であり、また全ての僧院教団の首長でもあります。

ひとつの興味深い点は、聖師が和尚そっくりに、全く同じに見えるということです。そしてとても陽気で、とても快活で、とても温厚です! 彼は年齢も同じくらいで、40歳くらい・・・40歳から50歳のあいだです。聖師について特に私の眼をひいたものは、彼の「第三の眼」です。それはとても容易に見ることができます。それは窪んでいて、内向きに曲っていて、彼の額の中心にあります。ふつうの眼のように感じられますが、それは内的な眼です。私はその内的な眼の中間点を、まるでエネルギーがそこの小さな穴から放射されているように感じました。その中間の部分はとても容易に見ることができます。

私は、チベットには第三の眼を開けるために額に穴を開ける習慣がある、ということを聞いたことがありました。そこで、私は彼にこのことについて尋ねました。 彼は言いました。「それはみんなでっち上げの噂だ。それは決して行われていない。はるか昔のある時期には行われていたかもしれないが、今はない。」彼は、ひとたびこの第三の眼が開いたなら、あなたは普通の知覚には隠されている多くのものを見ることができる、と言いました。

私が初めて中へ入った時、彼はすぐさま私に言いました。「私はあなたがどこから来たのか知っている。」それは私にとって大きな驚きでした。 それから彼は言いました。「私はあなたがどこかに持っているあなたの導師(グル)の、写真かまたは両面に印刷された何かを見ている。」 私は「両面に印刷されたようなものは何も持っていません。」と答えました。—私は、両面に和尚の写真のついたマラ(ロケット)をぶら下げていることをすっかり忘れていました—。

ラマ・カルマパは英語を知らず、チベット語しか話さないので、そこには通訳を務める英国人女性がいました。その英国人女性はそこに何年もいました。彼女は完全に放棄していて、チベットの瞑想の道に従っています。彼女はラマ・カルマパの弟子であり、その僧院にいる唯一の女性でした。基本的に、女性は許されていませんが、そこには女性たちのための特別な僧院があります。

彼女はすぐさま私のマラを見て言いました。「これは何ですか?」私はその時、このロケットは両面に写真が刷り込まれていることを想い出し、そして言いました。「これは私の導師(グル)の写真です。」

彼女はそれを見たがりました。そこで私はそれをはずして彼女に見せました。すぐさま聖師は「まさにそれだ!」と言いました。  彼は和尚のロケットを自分の手に取り、それを額に当て、それから和尚について言いました。 「和尚は、インドの仏陀以来最大の神性の化身であり、生きているブッダだ。」
私はこれを聞いてとても興奮し、それから尋ねました。 「インドには同じ様に光明を得たと言われている人たちが他にもおります。彼らについてはどうでしょうか?」

彼は答えました。「彼らは『悟った魂』ではあるが、光明を得た化身ではない」

それから私は特にクリシュナムルティについて尋ねました。 彼は言いました。「まず第一に、彼はインドにはいない。第二に、彼は悟った魂だが神性の化身ではない」それが、彼が特に私に教えたことでした。そこで私は、神性の化身と悟った魂との違いとは何かについて尋ねました。

彼は、悟った魂は自己領解に達してはいるが、必ずしも他の人々を助けることはできない、と言いました。 もし他者を助けたいなら、彼はそのために超自然的(オカルト)かつ秘教的な科学において特別に訓練してこなければならず、そしてこの訓練のために何度も何度も生まれなければならない。そうすれば彼は再誕生の意識的な選択をすることができるようになる。 これをすべて和尚は既に通過してきている、とラマは私に言いました。

—<神性の化身>とは、他者を助けるために前世で訓練をした誰かの化身という意味で、単にこの生で悟った魂のことではない。和尚の場合、彼は既に訓練を経てきており、既に悟っている。そこでこの生で、和尚は精神霊的(スピリチュアリィ)に人々を助ける目的で特別に誕生した、ただこの目的のためだけに。彼は完全に意識的に誕生してきた—ラマはそう言いました。その点では、私は彼に和尚は多くの人々を教えていて、多くの深遠な事柄について語っている、と言いました。

すると、聖師は言いました。 「あなたは、彼があなた方のために語っていると感じているかもしれないが、彼が語るのはただあなた方のためだけにではない。和尚はアカシック・レコード—アストラル界に記録された出来事と言葉の記録庫—のためにも語っている。語られたことは何であれ忘れられない。だから、あなたは彼が話す事柄を繰り返し続けるのに気づくだろう。彼は話す事柄を繰り返し続ける。  そしてあなたは彼があなた方のために語っていると感じているが、実際のところ、彼はただ少数の人々のためだけに語っている。和尚が何者であるかをはっきり理解するのは、ほんの少数の人々だけだ。彼の言葉はアカシック・レコードの中に残るだろう。それが未来の人々に対しても役立つように・・・・」

聖師は私に、和尚がどこにいるのか尋ねました。私がそこに行った時、彼は和尚の写真の入った私のロケットの波動から直ちに和尚に気づいていたのですが—-。  彼は過去生でも和尚と一緒にいました。すべての覚者(ブッダ)たちは、お互いに接触し合っています。いまでも彼と和尚は互いにテレパシー的に通じ合っています。そのようにして彼は知ります。私は、彼の質問は和尚がどこに滞在しているのかという意味だと思っていました。あるいは私が、通訳している英国人女性の言葉を正しく聞いていなかったのです。それで私は「ムンバイです」と答えました。

聖師は「いや、ムンバイではない」と言いました。 彼は「和尚の故郷はどこか?」という意味で尋ねたのです。そこで私がマディヤ・プラデッシュと言うと、彼は「そうだ!」と言いました。そうです。彼は私がそれを言う前にすべてのことを知っていました。それはアカシック・レコードの中にあるからで、そして彼はそこから知るのです。

それから彼は、どんな瞑想の技法を和尚は教えているのかと私に尋ねました。私は彼に四つのステージの技法を説明しました。私が第三ステージ—「フゥー、フゥー、フゥー」という叫び—について話した時、彼はこの「フゥー」はチベットのマントラ「オーム・マニ・パドメ・フーム」の「フーム」から来ていると言いました。彼はこのことについて非常に興奮し、私の両手をしっかり握って「非常にうれしい」と言いました。

「この技法はまったく正しい。これは、これらの修行についてのチベットのやり方のあるものによく似ている。そして我々の行っている行法が何であろうと、あなた方はそれと同じことをやっている。」

多くの違いはただ言葉だけのものです。例えば、私たちが「クンダリーニ」という用語を使う時、彼らは同じことを意味する「燃え上がる炎」という言葉を使います。しかし和尚の技法については、彼はただ「完璧だ!」と言いました。

実際、彼らの体系はほとんどの点でまったく違っています。彼らはすべての顕現の元である振動(バイブレーション)を信じ、多くの祈りを捧げ、チベット語の特殊なマントラの詠唱をします。これは特定の方法でのみ行わなければなりません。しかし聖師は、私たちの瞑想の「フゥー」のステージは自分たちのマントラ、「オーム・マニ・パドメ・フーム」の「フーム」から来ていることを確信していました。和尚もまた彼の講話のいくつかでそれを認めていました。

僧院本体の内部に大きな僧房があります。その端には住み込みのラマたちがいるとても小さな部屋があります。その僧房の中央には、三階からなる別の区画の部屋があって、その最初の部屋は全てのラマたちが祈りに行く祈祷室です。

これらのチベットの僧院は、複雑に掘り刻まれて、明るい赤、青、そして黄金の組合せで彩色された厚い木材で建てられています。それらは非常に優雅に見えます。チベット人たちの間では、黄金は神聖な金属であり、神聖な色であるとも考えられています。だから彼らはそれをたくさん使いますが、ただ宗教的目的のためだけです。  その僧院はとても豪華に見えます。黄金はチベットには豊富にあります。川岸にただ横たわるだけで、それを川の中に見つけることができます。だから彼らはそれを神聖な物事のために用いるのです。これは特別な芸術で、非常に神聖なものとみなされています。彼らのプージャ(礼拝)用の物品は黄金でできています。

チベット人の理論では、存在とは波動以外の何でもなく、正しい波動によってのみ人は光明に達することができる、と彼らは信じています。だから彼らは祈りを信じ、特定のマントラ(響き)や特定のリズムを繰り返すことを信じていて、それらを通して彼らは宇宙に調子を合わせることができ、瞑想の中へ深く入って行くことができ、落ち着かない心(マインド)の波動を静めることができるのです。それが彼らの瞑想の理論です。私が先に述べたこの祈りの大広間には仏陀の像や、ダライ・ラマとそれに類する偉大な魂たちの肖像画があり、彼らが祈る時に明るくする何百もの特別なランプがあります。

その僧院の中に入るとすぐに、あなたは強い波動を感じることができます。なぜならラマたちが絶えずそこで祈りを唱え続けていて、振動する雰囲気を作り出しているからです。彼らには衣服、食事、そして住居が与えられているので、何も心配することはありませんし、瞑想以外にやるべきことは何もありません。瞑想がこれらの二百人の僧たちの主要目的であるので、それはある雰囲気を作り出しています。どんな修行もしなくても、瞑想の半分の働きが為されます。なぜならそこの波動が非常にいいからです。それはあなたが入ったとたんに感じられます。私自身、今その違いを非常に感じています。

ラマたちは祈りを始める際に、特殊なタイプのお香を使います。彼らは香りも瞑想においてとても重要な役割をはたすと信じているからです。それは、それぞれの香りには独自の効果があって、もし特定のタイプの効果が欲しいなら、特定のタイプのお香を使わなければならない、というものです。例えば、もし自分の心を静めたいなら、その時にはある特定のタイプのお香を使うことが必要とされます。あるいはもしあなたがある魂たちと接触し、ある魂たちを導きたいなら、その時にはある特定のタイプのお香が使われ、特定のマントラが引用されることになります。彼らにはそれに関しての完璧な科学があります。

ですからラマたちはみんなこの祈りのお堂に来て坐らなければなりません。彼らは列をなして、互いに背中を合わせたり、また互いに面と向かって坐ります。そうすれば彼らが大声で祈る時、その振動は特別なパターンを形作ることができます。

そこには200または250ルピー以上かかる特殊なタイプの使い古した鐘があります。彼らはそれらの鐘を特殊な金属から作ります。七つの金属を混合して、それらが特別なタイプの振動を発することができるように作り上げます。彼らはこの科学に関しては非常に深い研究をしてきました。朝になると、聖師は特別な儀式のためにだけやって来ます。それから、彼の臨席のもとに、僧侶たちは特別なタイプのマントラを、特別なやり方で唱えなければなりません。

内側のさらに奥には、どんな目的が要求されるかに従って異なるタイプの祈りが行なわれる異なる寺院があります。いくつかの祈りは故人の魂を導くために行なわれます。チベットでは、死んだ魂たちは導かれなければならないと信じられているので、彼らはその人が死にかけている間と死後に、その人の来世にとって適切な子宮を選べるようにその人の魂を導きます。これを彼らは「バルド(中有)の過程」の名で呼んでいます。その科学に精通した特別なラマたちがいて、彼らだけがその特別な寺院の中へ入ることが許されています。特定の時間に、彼らはこの世を去った魂たちが正しく導かれるように特定のマントラを唱えなければなりません。  普通、彼らは彼ら自身の亡きラマたちの魂を、次の誕生で彼らを呼び戻すために導きます。更なる訓練のために—–。そのようにして、彼らによって多くのラマたちが多くの誕生を通して訓練されてきました。そして僧院には、聖師が滞在している一つの部屋があります。

基本的に、ラマたちは二つの異なる修行の体系を持っています。第一は祈り—マントラの詠唱やそのようなこと—、もうひとつは瞑想です。彼らは完全に放棄しない限り、誰にも僧院に住んだり入門したりすることを許しません。この放棄とは、特定のタイプの衣を身に着けて頭をきれいに剃り、特定のタイプの食物を食べなければならないこと、特定のやり方で髪を切り、ある一定の期間完全に隠遁することを意味します。その期間中に、彼らはあなたに何を為すべきかを指導します。あなたがそれを通過するなら、その時だけあなたは僧院に留まる資格を得るのです。そうでなければだめです。

祈りのあと、彼らは、あなたの能力しだいで、どんなタイプの瞑想をするべきか、どんな修行に従うべきか、そしてどんなことを学ぶべきかを教えます。彼らは、自分だけではなく他の人々をも助けるために学ばなければならない異なる超自然科学を持っています。例えば、人間のオーラを知る科学です。これによって、あなたは即座に、ある人がどのようなタイプの人間であるかを知ることができます。その人が誠実であるかどうか、真実を話しているかどうか、瞑想の道の途上にいるかどうか、前進しているか後退しているか・・・。これらのすべての事柄を彼らは人間のオーラの磁場の色によって知ることができます。

彼らが学ばなければならないもう一つの超自然科学はテレパシーです。これによってあなたは人々の思念を読むことができます。そして三番目のものは透視力—遠く離れたところから自分の思念によって人々を導くことのできる科学です。これらが学ぶべき三つの科学で、彼らはこれらの事のための異なるタイプの瞑想を持っています。

当然、私はラマ・カルマパにそれらについてそれ以上のことを、そして彼が私に教えてくれるかどうかを尋ねました。 彼はこう言いました—自分たちのラマの一員ではない者には誰であれ教えることはできない、なぜならもしそれらの事が、それに対して用意のできていない人のところへ行ったなら、それらは誤用されかねないからだ—と。そのため、チベット人たちは彼らの超自然科学をすべて極秘に保ってきたのです。その理由はただ、現今では私たちは唯物主義的な世界に生きていて、人々はどんなものからでも金を儲けようとしている、と彼らが感じているからです。だから彼らはこれらの秘密を明かしたくないのです。

いったん人が僧院の中に入ったなら、彼は死ぬまでそこに留まらなければなりません。彼は死なない限り僧院から外へ出ることはできません。さもなければ彼はチベット人たちのところから完全に立ち去らなければならないでしょう。ひとたびある人が彼らに所属したら、彼は一生の間、残りの生のすべてにわたって、さらに彼がブッダの境地を達成するまで彼らに所属します。彼らはその人をすべての生において教え続け、他者の霊魂を導くことを知っている僧たちを常に呼び戻します。僧たちは彼らを導くためにそこへ戻り、そうしてその魂は常に来世において適切な誕生を得るために導かれます。そのようにして、彼らの霊的訓練は何生にもわたって続きます。  一般に、彼らは特にどんな悟った魂も自分たちの集団から出て行かせないようにします。それでも、悟った後は、彼らはその魂たちを統制できなくなります。

和尚に関して、聖師はこう言いました。光明を得た後、もし光明を得た魂が自分自身の選択によって自分たちの仲間以外のどこかに再誕生するなら、それは仕方がない、と。和尚の場合、ラマはこう言いました、彼は過去生で自分たちと一緒にいた、と。

彼は私に言いました。「もし和尚の以前の化身を見たいなら—彼はチベットにいた—、あなたはチベットへ行って、そこで権化堂の中に保存されている彼の黄金の像を見ることができる。」

和尚の一つ前の誕生は約700年前に起こったと言われています。聖師はそのもう一つ前の誕生について言及していました。彼は、和尚は二つ前の誕生でそれらの偉大な化身たちの一人であって、そのため彼の像が保存されている、と言いました。

チベット人たちは光明を達成した人の身体を、エジプトでミイラが保存されるように、特別なやり方で保存します。死体は特殊な処理がほどこされ、それによって死体は乾燥されます。乾燥された後、それは死の時点からのその人の自然な特徴を失うことはありません。それから、その処理がほどこされた後、彼らはその身体を金細工師にあずけて、それを黄金で覆い、黄金で包まれた身体に仕上げます。身体はこの処理のために、仏陀の坐っている姿勢(パドマサン–蓮華坐)の状態にしていなければなりません。それから、彼らは身体を黄金で包みこみます。たったひとつの目鼻立ちの線さえ変わらないようにこれをする専門的な金細工師たちがいます。

チベット人たちは占星術の科学を知っているので、多くの貴重な遺物や像を救い出すことができました。その結果として、彼らは未来を予知することができるので、何が起ころうとしているかを前もって知っています。そのため、彼らは中国共産主義者の侵略について、それが来るはるか以前に知っていて、あらゆるものを模造することができました。本物の黄金の像がチベットのどこかに隠されています。ある人々だけが、深い瞑想に入っている人々だけがそれについて知っています。和尚はそれについて知っています。深い瞑想に入っている人たちは、これらのものが保存されているところを知ることができます。偽物の模造品だけが、中国人たちが破壊できるただの見せものとして、目に見える場所に置かれていました。チベット人たちは彼らがあるものを破壊したがるのを知っていたからです。

聖師によると、チベットにはこのような偉大な神性の化身たちの黄金の像が99体あります。それらのうちの一つが二生前の和尚の像です。中国人はそれを破壊していません。彼らにはできません。なぜならこれらの像はチベットの人里離れた場所に移され、密かに隠されているからです。本物の像が移されたのは、これらの像が強力で超自然的な物だからです。もし誰かがそれらにちょっと触れさえするなら、ある強力な霊的体験が彼に起こりかねません。だからそれらが保存されている部屋の中には、僧たちでさえ入ることは許されません。特別な人々しか許されません。なぜならこれらの像に触れるだけでも、人は強い反応を受けかねないからです。

聖師が語りたいことは何であれ、私はひたすら耳を傾けたいと思いました。そこで私は彼の言うことに、彼の応答に、ただ耳を傾け続けました。私はただ彼が、まるで失ったものが再び見つかったかのように、全ての事柄についてとても喜び、とても興奮していることに気づきました。彼が表したこの興奮や彼の身振りを通して、私は彼が過去において和尚と親密な関係があったに違いないと実感することができました。彼は、自分と和尚との霊的関係がどんなものであったのか、特には言いませんでしたし、私も好奇心はありましたが、彼に尋ねたいとは思いませんでした。それは私にとって、決して予期していなかった非常に興味深くて特異な体験でした。

彼は和尚と和尚の仕事について、こう語り続けました。 「私の祝福は常にある。そして私は知っている、何であれ他者を助けるために我々にはできそうにもないことを、和尚はするだろう、ということを。」

インドを訪れるに際してのラマたちの主な目的は、自分たちの超自然科学を保存することでした。和尚も1969年に行ったカシミールでの講話でそれを確証したことがあります。ダライ・ラマが脱出したのはただ自分自身を救うためではなく、チベットの宗教、瞑想の秘法、超自然科学を救うためだったのです。ただその目的のために、彼はチベットからあらゆるものを携えてインドに来たのです。

聖師は言いました。「我々は過去においてインドからこれらのものを得た。それで今、我々はそれを元へ戻したい。そして今や我々は、ここにインドや世界で我々の仕事をしている化身(和尚)がいることを知るに至った。我々はそれを非常に喜んでいる。」彼らは和尚についてそんなふうに考えているのです。

それから聖師は、和尚はインドでこの仕事ができる唯一の人物だ、と言いました。彼らは私たちの言葉が話せないので、インド人たちと触れ合うのが難しいことに気づいているからです。しかし聖師は、和尚はインドに来るためにこの誕生に対して特別な注意を払ったと言い、そして私にこう言いました。

「あなた方は和尚と共にいるということで、非常に、非常に幸運だ。彼は世界教師であろう今日生きている唯一の神性の化身だ。」それから彼は私たちがどうやって入門するのか、特に私たちが通過しなければならない何かがあるかどうかを私に尋ねました。

私は言いました。「難しいことは何もありません。私たちはあるがままの自分をただ受け入れるだけです。私たちは何でもすることができるし、便利さの中で生きることができます。私たちはどんなものからも去る必要はありません。私たちは何でも好きなものを食べ、何でも好きなことをすることができます。和尚がネオ・サニヤシンたちに求める唯一の事は、定期的に瞑想をすることと瞑想キャンプに参加すること、そしてそのようなことくらいです。」私は聖師に言いました。和尚はより多くの人々をこの方法で助けることができ、すべてのスピリチュアルなゴールは瞑想を実践することによって、時が熟せば自然と達成されるだろうと感じている、と。

すると聖師は言いました。「あなたはじつに幸運だ。ここチベットでは、我々は入門する者たちに対して、あらゆることについて非常に厳しい」

それから私は彼に、私たちはヒマラヤ山脈のこの地域で瞑想キャンプをしたい、と提案しました。彼はただちにこう言いました。「あなたは来ることができる。あなたは私の僧院によろこんで迎えいれられる。あなたが望む援助は何でも与えてあげよう」

その時、通訳をしていたその英国人女性が、10月か11月の初旬にとりわけ和尚に会うためにムンバイへ行くつもりだ、と言いました。私は彼女に、10月に来てくれたら、和尚がどんなやり方で瞑想を教えているか、そして私たちが全ての実習をどのようにしているのか、彼女が自分で実際に見ることができるような瞑想キャンプがあるだろうと、はっきり伝えました。彼女は言いました。「それがなくても、少なくとも私は和尚に会うために必ずムンバイに行きます」

そこにはこの話し合いに非常に感動した外国人たちが何人かいました。直ちに、彼らは私の住所を書き留めました。それで10月には彼らは私たちの瞑想キャンプに来るかもしれません。

私は聖師に和尚は誰の化身かと尋ねましたが、彼は言いました。「いや、それは秘密だ。ある者が我々の僧院の一つの長でない限り、我々は彼が誰の化身であるかを明らかにしない」

しかし彼は一つの事を非常にはっきりと言いました。それは—「彼の(和尚の)仕事が終わるやいなや、彼は消える。完全に消え去る。すると我々は彼を見つけることはできなくなるだろう。」彼はこう言いました。「人が消えることができるのはただチベットの術によってのみだ。」  同じことが老子に起こりました。和尚も、老子がどこへ去ったか誰も知らない、と私たちに教えたことがありました。彼は自分の死期が来た時、死ぬ代わりにただ消えました。聖師はそれが和尚に起こる時期を示しませんでした。私は聖師に、彼がそのようにただ消えるということがどうやって可能なのか、と尋ねました。

彼は言いました。「我々の科学は振動の科学であり、和尚は既にそれに熟達している。彼はただ自分の振動を静めさえすればいい。そうすれば彼は消えることができる」人が人々を見るのは、ただ彼らの振動が目に投じられるからです。目はその時像を形成する振動を捕えます。そしてそれがこの技(アート)の背後にある秘密です。和尚も、あなたが自分はそこにいると人々に感じさせたいので、あなたの振動はあなたの姿を形作るのだ、と言っていました。  和尚は既に自分の振動を静めており、ただ自分の仕事が完了するのを待っているだけだ、とラマ・カルマパは言いました。これが終わるやいなや、彼は消えるでしょう。彼は既により静かな振動の状態にあります。そして彼がここで自分自身を保っているのは人為的な手段によるものであり、ただ彼が仕事を終わらせなければならないからです。

彼はこう言い続けました。「世界は和尚を知るだろうが、彼のほんとうの姿に気づくのはほんの少数の人々だけだ。彼はこの時代で世界教師であることができ、正しく導くことができる唯一の人物だ。そして彼はただこの目的のためだけに誕生した。」彼は、人は光明を達成しない限り、和尚が何者であるかを完全に知ることはないだろう、と指摘しました。

今日でさえも、人々は彼に対する判断を誤っています。ちょうど彼らが、私たちの瞑想の実践を誤解したり、私たちがもし好むなら現代的な便利さと贅沢さで生き続けることを許されていると見たり、そのようなことによって、私たちに対する判断を誤っているように—-。そのように人々は判断を誤るでしょう。

聖師はそれからこう言いました。「和尚は、本当は自分を知ることができる人々にだけ関心がある。彼は時間を浪費したくない。彼は不適当な人々が来ることを望んでいない。誰かが彼(和尚)のところへ来るやいなや、彼はその人のオーラの色によってその人が何者であるかを知る。色の違いが、その人が到達した霊性の状態の異なる度合いを示すからだ。そして彼は直ちにその人物の真の姿を知る。そしてある人について彼が特別な何かを感じるのであれば、彼はその人が自分の近くに来ることを許すだろう。さもなければ彼はそれを許さない。」

これだけを聞いてわりと簡単に思いつけることは、和尚が教えているものは何であれチベット的なものに他ならず、彼はそれらを私たちの雰囲気や環境に適合させようとしている、ということです。それが、和尚が説くほとんどすべての講話の中で彼が仏陀に言及する理由なのかもしれません。今では、私は「ギータ」や老子に関する講話においてさえも、それを見ることができます。

どんな講話においても、和尚は常に仏陀に言及します。彼は仏陀と非常に親しいようにみえます。ですから私には、これは聖師が語ったことをすべて確証しているようにみえるのです。—-とはいえ、他の情報源は、和尚は幾多の過去生において全ての宗教の全ての秘教的体系の中で訓練してきたので、彼は全ての道に精通している、ということを伝えています。これはなおさら多方面に渡って救済する資格を彼に与えるもので、聖師の言ったことと矛盾するものではありません。

聖師はセックスについても私に尋ねました。私には妻も子供もいたからです。彼は、あなた方は性生活を許されているのか、と尋ねました。私は言いました。「私たちは不自然に、または強制的に何かを放棄するようになっているのではなく、それが自然に私たちに生じるようにそれぞれの段階を受け取ることになっています。」

それから私は尋ねました。「あなた方の規律はどうなっていますか?」

彼は言いました。「恋人同士が一緒に暮らせる特別な僧院があり、もし彼らが深く愛し合っているなら、そのときには明らかに性行為は彼らが互いに助け合うのに役立つ、と我々は感じている。そのための別の科学もあるが、それは深い愛のなかにある者たちだけのためにある。その時だけだ。さもなければ、だめだ。さもなければそれは彼らにとって、そして彼らの精神霊的成長にとって害になるだろう。」

質問:「そのラマたちがいつかチベットへ帰る機会はあると思いますか?」

彼らは、自分たちは帰ることができると思っています。彼らはこれも予言してきました。彼らは、その時がいつ来るかについて、あらゆることを書き留めています。だから、彼らは自分たちの超自然科学をすべて保存してきたのです。アストラル体の旅で、彼らは毎日チベットを訪れています。彼らは、西暦2,000年以降には肉体的にそこへ帰ることができると考えています。聖師は私に言いました。周期(サイクル)は変わるでしょう。それが彼らの予言していることですが、私にはそれが実現するかどうかわかりません。

質問:「あなたはそのすべてを和尚と話し合いましたか、そして彼はなんと言いましたか?」

 

私はこういったこと全てを和尚に話して、それからそのチベット人たちについて、また彼らがここインドで私たちを助けることができるかどうかについて彼に尋ねました。彼は言いました。

「いや、助けることは彼らにとって不可能だ。なぜなら彼らの厳格さは現代にとって余りに厳しすぎるものであるし、彼らの精神霊的進歩の技法は時間がかかりすぎるのに、時間は短いからだ。この時代ではすぐに助けが必要とされる。だから彼らが大勢の人々を助けることは不可能だ」

ですから私が見る限り、和尚は今日の世界で膨大な数の探求者たちに精神霊的な助けを与えることのできる唯一の人です。これは聖師の言葉でもありました。それは、彼ら自身はそれほど世界を助けることはできない、「それができる唯一の人物は和尚であり、彼は世界教師として知られるだろう。」ということです。

和尚は私に「おまえがそこへ行ったのはとてもいいことだ」と言いました。しかしそれは、自分が行ったのか、それとも私が気づかないうちに神秘的な方法で彼が私を遣わしたのかどうか、私にはわかりません。  和尚は、自分が前世で聖師を知っていたとは直接的には言いませんでした。でも、私には彼の顔や身振りから、彼は知っていたということがわかりました。だから彼は特に「 おまえがそこへ行ったのはとてもいいことだ」と言ったのです。

私はこれらの事をすべて聞いて、非常に心を躍らせたと言わざるをえません。私は始めは聖師に出会えることを期待していませんでしたが、私が彼と出会ってこのすべてを聞くことができた時、それは非常にすばらしいことでした。そして、それは不意にそのように起こったのです。私はそのすべてに対して無上の喜びを感じています。

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