「グループやセラピーはそれを受けた後はどんなに素晴らしくても、いつかそれは去ってしまう。しかし聖なる次元から一度降りた恩寵はもう決して去ることがない。そしてその恩寵はいつも根底に在り続け、どこまでも限りなく拡がっていく」
これは、湘南藤沢でのスペース・オショー瞑想会を始めたばかりの頃、度々参加してくれていたプラバナがふとした時に語ってくれた言葉です。
この言葉がとても印象に残っています。
そんなご縁もあり、今回、プラバナ(Swami Anand Pravana)を
小石川での瞑想会にゲストにお招きすることとなりました。
ふと自分を手放して、空っぽのサイレンスのスペースに瞑想や無為を通じて導かれるとき、本当に恩寵というのはそのようなものだと率直に感じます。
小さな光が集まって誠実で純粋なハートをもって坐るとき、
恩寵は確実に降り注ぐでしょう。
セレブレーション、そしてサイレンスを通して、
満ち溢れる至福、恩寵に触れて、ひとつに溶け合ったら、
「それ」をひとりの個人を越えた
もっともっと広い世界と分かち合う、
「世界平和の祈り」へと。
個人の願望を越えた「祈り」を通じて、
その光、至福、愛、恩寵を
世界の隅々、地球という惑星の隅々、宇宙の隅々まで
広げていきます。
☆2019年7月20日(土)☆
スペース・オショー in 東京小石川 with プラバナ
17:30-18:30 セレブレーション & サイレンス※
18:45-19:45 プラバナと共に坐る
19:45- 20:00 世界平和の祈り
※OSHOが遺してくれた祝祭のアートであるセレブレーション。
今ここの生を祝い踊り、沈黙の中に坐ります。
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無知(無明)には始まりはないが、終りがある。
光明には始まりがあるが、決して終わりがない。
そしてこのふたつの両端がひとつになる。
実際これら両方はひとつだ。
光明の始まりと無知(無明)の終わりが一点でひとつになる。
その一点は2つの顔を持った危険な点だ。
一方の顔は始まりなき無知(無明)の方を向いていて、
もう一方の顔は終わりなき光明の始まりの方を向いている。
だからあなたは光明に辿り着くが、
決して光明に辿り着けない。
あなたが光明にやってきて、
その中に落ちていき、それとひとつになる。
しかしそれでもなお未知は広がったままであり、
それが光明の美しさであり、それが光明の神秘だ。
もしあなたが光明においてあらゆる事を知るのであれば、
そこには何の未知なるものがない。
すべてが醜くなるだろう。未知なるものがないとき、
あらゆる事柄が死んでしまう。
だから光明とはこの意味において「知る」ということではない。
それは自死としての知ることではない。
それはさらなる神秘へと開いていくという意味としての知ることである。
「知る」ということの意味するところはあなたは神秘を知り、
神秘に気づき始めたということである。
それはあなたが神秘を解決したということではない。
それは数学の公式のように、すべての事が解かれるということではない。
むしろ光明において知るということの意味は
神秘が極限までになった地点にあなたがやってくるという事である。
OSHO
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