この集いは 光明を得た現代の神秘家 OSHO によって現代人のために作られた
アクティブ・メディテーションをこよなく愛する方または体験してみたい方のためのものです。
(※なぜ、アクティブ メディテーションの必要があるのですか?)
この集いはいかなる宗教、政治、組織団体から自由である友人たちの集いです。
(詳しくはOSHO自身が「友人達の集い」ということを話しているので、こちらをご一読ください。)
初めての方、近郊にお住みの方、
どなたでもお気軽にご参加ください。
内容としては
チャクラ ブリージング メディテーション
(音楽室は2重ドアの防音設備です。OSHOがリードする音源を使います。)
ナタラジ・メディテーション
ヴィパサナ・メディテーション
などを現段階では予定しております。
日時:週に1,2回を予定しています。(ご都合に合わせること出来ますので、お問い合わせください。)
場所 :長野県 岡谷 イルフプラザ 3F (生涯学習館) 音楽スタジオ(岡谷駅 徒歩5分)
(長野県 岡谷市中央町1丁目12 長野県岡谷市中央町1丁目11-1 TEL:0266-24-8401 )
会費 :500円
持物:お水・軽食・座布団・ショール・着替えなど
お問い合わせ先
佐藤 裕也
こちらからお問い合わせ頂けると幸いです。
※(参加される場合は必ず前もってお問い合わせください。)
「OSHO ON HIS WORK 友人たちの集い」から一部引用
第一のことは、今日の友人たちの集いは、このメッセージほどには大きくないということだ。組織は必要ない、必要なのは集いだけだ。だから組織と集いの違いを、明確に理解する必要がある。集いとは、誰もが自由だということ、誰もが自由に来て、自由に立ち去るということだ。集いの意味は、誰もが対等で、誰もがより高くもより低くもなく、どんな階層にも属さず、誰も追随者ではなく、誰も指導者ではないということだ。これが集いの意味だ。私たちが作るべきなのは友人たちの集いであって、内部に権威や、階層や、地位の上下がある組織ではない。組織にはそれ自体の下部構造がある。そこには一番下から一番上までの階層があり、段階もあれば地位もあり、それとともにあらゆる政治が入ってくる。なぜなら、身分や地位があるところには必ず政治が入って来るからだ。地位をもっているものは、誰かが自分に取って代わりはしないかと怯えるようになる。地位のない者は、なにかの地位にたどり着こうと懸命になる。だから組織にはそれなりの危険がある。
私たちは、組織ではなく友人たちの集いを作らなければならない。この集いのなかでは、誰もが対等で、等しい価値をもっている。誰ひとり権威でもなく、誰ひとり偉くもなく、誰もがより高くもなければ、低くもない。それぞれの人は自分の愛からそこに来たにすぎない。愛を除けば、ほかに従わなければならないどんな命令も存在せず、果たすべきどんな宣誓や誓約をしたわけでもなく、どんな誓いや指令に関わったわけでもない。彼はただ自分の愛と個人の自由意志で加わったに過ぎない—–だからそうしたければいつでも去ることができる。それにこの集いに参加しているときでさえ、どんな教義やイデオロギーにも拘束されてはいない。そのときにも異なる意見をもつ自由があり、自分の考えをもち、自分の考えに従い、自分の智恵に従う自由がある。そこにいるのは誰かの追随者になるためではない。だから、友人たちの集い“ジーヴァン・ジャグルティ・ケンドラ”が生まれるかもしれない。私たちはこの線に沿って考えなければならない。