Rabia al-Adawiyya ラービア・アダヴィーア

女性の高名な禁欲家・神秘家の一人で、ハサン・バスリーと同時代の人と言われる。バスラに生まれ、752年、エルサレムで没したとされるが、没年には801年という説もあり、不明な点も多い。
禁欲生活を通じて自己の内面の浄化を目指した初期イスラームの神秘道の大家たちの中にあって、初めて、「神の愛」という一つの理念をもたらした神秘家であった。彼女の登場によって、広義の禁欲主義による接神への道は、豊饒な分学的可能性を獲得することになったと言ってよい。本『聖者列伝』中に登場する唯一の女性の神秘家である。
イスラームは、元来、礼拝の場所を特定することに否定的な立場をとり、神への礼拝は至る所で可能であるとした。特定の礼拝の場所に優先性を置かぬという、本来のイスラームの生きた姿を求める試みは、ラービアにあっては、宗教的儀礼としての巡礼が、自らの信仰の中で内面かされる過程となって現れ、この「聖女」が、聖コーランに関する比喩的(内面的)解釈を試みた最初の人物としてザンダカ主義(内心で二元論を信奉する、偽ムスリムの総称)との関係を取り沙汰される一因となった。最終的に、ラービアにとって、通常、信仰の拠り所とされた「天国」と「地獄」という存在も、神のみによる真理への道を閉ざす退廃の厳選として認識されるようになったと言われる。

 

神のヴェールに覆われし貞女。献身に身を包みし隠者、神への愛、神へのたぎる思いに身を焦がし、神の近きを願い、神の愛の炎に見せられし者、聖マリアに代わる聖女、名の在る者たちに受け入れられしもの、ラービア・アダヴィーヤ――至高なる神よ彼女を哀れみたまえ。もし、男性たちに並べて彼女の話を述べるはなぜか、と問われれば、私はこう言おう。預言者御自身——彼に平和あれ——がこうおっしゃっておられる、「誠にアッラーはあなた型の外見の姿にはとらわれない」〔ハーディス〕と。姿形ではなく、その意図するところによって善は実現する。もし、信仰の三分の二にもあたる知識をアーイシャ〔預言者ムハンマドの妻の一人、678年没〕——神よ彼女に満足あれ——から学ぶことが許されるなら、彼女の自助の一人から益を得ることも許されようというもの。女が至高なる神の道にあって一人の神の人である時、彼女を女とすることはできぬ。アッバーセ・イェ・トゥースィー〔女性神秘家のひとり〕が言っている。
「最後の審判の日、荒野で、“天国に向う者たちよ”と声がかけられる時、男たちの列に足を踏み入れる最初の者は聖マリアであろう」

 

出典:「イスラーム神秘主義聖者列伝」(ファリード・ゥッディーン・ムハンマド アッタール 著、藤井守男 訳、国書刊行会)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です