OSHO ディスコース(講話)

OSHOが弟子であるサニヤシンに向けた大切なメッセージ【その4】

『Perfect Master vol 1 Talks on Sufi Stories』から

マスター(師)とはただ単に外側に在る客観的な現象ではない。
まず最初に貴方の中でマスター(師)というものが何か内面的なものにならなければならない。
それが弟子であるということである。
真理に対して準備をすること、真理への渇き、
そして真理への熱烈で大いなる希求と情熱。

それが欠けているのである。そして人々は探し続ける。
もし彼らが何も見つけることが出来ないのであれば、
それは驚きに値しない。

彼らは見つけることが出来ない。
彼らは沢山のマスター(師)と出会うだろうが、彼らは見逃し続けるだろう。
もし貴方がマスター(師)に対して受容的でなければ、どうやって彼を見ることができるだろうか?

もし貴方が弟子であるという事でさえどんな事か分からなければ、
どうやって彼を見ることができるのだろうか?

マスター(師)を見つける上での最初のステップは弟子である所から始まる。
真の探求者はマスター(師)がどこに居るかということに心を配らない。
彼の全ての関心は自分自身の中にどのように弟子を創りだすということ、
どのように学び続ける人で居られて、リアリティーに開いていられるかということ、
どのように無邪気さ、無垢から動いていけるかということ。
そしてどのように無知の知の状態から動いていけるかということである。

もしあなたが知識の状態から動いていくとしたら、あなたは沢山の先生に出会うだろう。しかしマスター(師)には決して出会うことはない。

もしあなたがすでに何かを知っていて、あなたが自分が知っていると思っているのなら、あなたは他の知っている人、あなたより先に知っていると主張している人に出会うだろう。

あなたは自分が出会うことが出来る人にだけ出会うことが出来る。
あなたと同じような人々にあなたは出会う。
蓄積した知識から動いている人は、沢山の先生に出会い、沢山の事を学ぶだろう。
しかし決してマスター(師)に出会えない。

そしてどのように無知の知の状態から動いていけるかということである。

マスターに出会うためには、あなたは子供のようになる必要がある。
マスターに出会うには、あなたは完全に無邪気でなければならない。何も知らず、マインドは空っぽであるが、真理への情熱で満ち溢れている。しかし真理に対して一切結論を出していない状態。これが本当に学ぶという状態である。
そうしたらあなたは何処にも行く必要はない。マスターがあなたの所にやってくる。

彼ら自身の探求が理由ではなくて、わたしの所にやってきたサニヤシン達がここには沢山いる。彼らは自分達自身のためにわたしの所にやってきたのではない。
わたしが彼らを見つけたのだ。

それが本当の意味でやってくるという事である。
あなた自身のために、あなたがここにやってきたのだとしたら、
それは本当の意味では私のところにやってくるということにならない。
あなたは頑固に自我でいっぱいで、そこに留まっている。
そこにはわたしがあなたの中に入り込むスペースは全く無い。

次のことは探求者にとって基本的な必要条件のひとつである。
探求者は学びつづける人である必要がある。
そして無邪気、無垢な状態から常に生きていく必要がある。
自分自身の内側にいかなる結論も持ち運ぶべきではない。
なぜならそのような結論はあなたが学ぶことを阻んでしまう。
その結論に反したことがあれば、あなたはそれを拒否するだろう。

もしあなたの結論に何か反することがないとしたら、
あなたは何も学ばないだろう。
ただあなたの古い偏見がもっと強まってしまうだけである。

もしあなたの結論に一致するのであれば、あなたは何も学びはしない。
それはただ古いマインドを強めてしまうことになる。
そしてマスター(師)はあなたのマインドを強めるために存在するのではない。
彼は新しいものが生まれるために、古いものを壊さなければならない。
彼はあなたがずっと持ち運んできたものを全て奪い去らなければならない。
彼はあなたの中にスペースをつくりだす必要があるからである。

マスターは時々奇妙な方法で姿をあらわす。しかし必ずいつも姿をあらわす。
弟子が成熟すると、神は沢山の形を通じて彼の所にやってくる。
マスターは神が弟子の所にやってくる最後の姿であり、
マスターの後は虚空がそこにある。

だからマスターは神を経験できる最後の姿である。
彼を越えた所には形なき神がある。
マスターはあなたと同じような姿で、
あなたと同じように生きていて、あなたが触れることができて、
あなたが彼と対話もすることができ、
そしてあなたと同じように彼は話す。

マスターを越えた所にはサイレンス・静寂が存在する。
その静寂は完全無欠である。マスターを越えた所には形なきものがある。
マスターはこの世界と神とのちょうど間に存在している。
もしあなたが本当にこの世界、この世界のマンネリ化した日常に飽きたのであれば、
マスターを探し始めてはならない。

むしろどうやったら弟子になることができるかという事を探求しなさい。
偏見やドグマの重荷から荷を下ろすことを始めなさい。
あなたが知っていることを全て忘れなさい。

真の探求はどうやって弟子になるか、
どうやってあなたの存在というカップを空っぽにするかという事である。
そしてあなたが神性さに満ち溢れている存在に出会ったとき、
あなたは心ゆくまで思う存分に満たされる。
しかし人々はマスターを探す。
彼らは弟子であることを探求しない。
それが人々が見逃し続ける原因である。
あなたは沢山のマスターに出会うかもしれないが、
いつも満たされていない感じがする。
そして不満の原因はあなたの外側にあるのではなく、
それはあなた自身のマインドに原因がある。

OSHO  Perfect Master vol 1 Talks on Sufi Stories

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