禅のレシピ(正法眼蔵)

禅のレシピ 02 ( Dogen The Zen Master 道元禅師著 正法眼蔵 現成公案 2 )

 

 

 

 

↓本日の動画はAlan Watts アラン・ワッツ。

(wikipedia.comで日本語の彼の略歴はまだ作成されていないので、英語の略歴だけ掲載しています。簡単なプロフィールは下記に載せておきます。)

アラン・ワッツは、1915年1月6日、イギリス・ケント州に生まれた。7歳の時から寄宿舎生活を送り、10代なかばには中国や日本の文化に本格的な関心を寄せはじめた。17歳で社会に出、19歳で最初の著書「 The Spirit of Zen 」を書き上げた。三度結婚し、7人の子供をもうけた。アメリカに渡ると生計を得るための手段として監督教会(エピスコーバル・チャーチ)の聖職者となり、6年間ノースゥエスト大学の礼拝堂付きの牧師としての務めを果たした。

聖職から完全に退いたのちはサンフランシスコに移り、アジア研究院アメリカン・アカデミーのスタッフとして、ひいては理事長として、数年にわたり旺盛な活動を行った。42歳でアカデミーから身をひき、以後はフリーランスのライター、講師、ブロードキャスター、哲学者、そして「哲学的エンターテナー」としての道を歩みはじめる。広範な知識と深い洞察、巧みな話術を合わせもった彼は、60年代のカウンター・カルチャーにおいて、若者たちのカリスマ的リーダーとしてあがめられた。組織に属することを拒み、快楽を愛し、酒を飲み、LSDで神秘体験を味わった。そして1973年11付き16日、58歳で亡くなった。

このブログで紹介させて頂いているOSHOもアラン・ワッツについて語っています。

The Books I have Loved 邦訳「私が愛した本」

“ ・・・・私はもうひとりの人、アラン・ワッツをそのすべての著書とともに含めるつもりだ。私はこの上もなくこの人を愛してきた。私は仏陀を別な理由で愛してきた。ソロモンを別な理由で愛してきた。この人たちは光明を得ている。アラン・ワッツはそうではない。彼はアメリカ人が・・・生まれつきのアメリカ人ではないが・・・それだけが彼の希望だ。彼はアメリカへの移民だ。だが彼は、途方もなく価値のある本を書いている。『禅の道』は、もっとも重要は著書として数えられるべきだ。『This is it』は途方もない美と理解の作品だ・・・・しかも光明を得ていない人間が書いたものだ。だからこそますます評価される。

人が光明を得れば、何であれその人の言うことは美しい。それは当然だ。だが、人がまだ光明を得ておらず、闇の中を這いながら、しかもなお小さな明かり窓を見つけることができたら、それこそ途方もないことだ。信じ難いほどにすばらしい。アラン・ワッツは酔っ払いだった。だがそれでも彼はきわめて近かった。

彼は一度、キリスト教の牧師に任命された—-なんという不運だ!—–だが彼はその職を辞めた。聖職者であることを放棄する度胸を持っていた者はきわめて少ない。その地位はこの世の実に多くを与えてくれるからだ。彼はそのすべてを放棄して、ほとんどルンペンになった。

だが何というルンペンだったことか! 彼はボーディダルマを、芭蕉を、あるいは臨在を思わせるルンペンだ。アラン・ワッツがいつまでも覚者にならずにとどまっていることはありえない。彼はずっと以前に死んだ。今頃彼は学校を出ようとしているに違いない・・・・・私の所に来る準備をしているに違いない。私はこういう人すべてを待っている。アラン・ワッツはそのうちのひとりだ。私はこの人を待っている。”(p129)

“ ・・・・11番目。そして最後だ・・・・アラン・ワッツの『本』(邦題『タブーの書』)だ。私はこれを取っておいた。アラン・ワッツは覚者ではなかったが、いつかはそうなるはずだ。彼はそれに近づいた。『本』は、途方もなく重要な書物だ。これは彼の遺言書だ。禅の祖師たち、禅の古典との、彼の体験の全てだ・・・それに彼は途方もない知性の人だ。彼は酔っ払いであった。知性プラスワンが本当に豊潤な書物を生み出した。私はこの『本』を愛してきた。だからこれを最後に取っておいた。

「幸いなるかな、最後に残りしもの」というイエスの言葉を覚えているかね? そうだ、この本は祝福されている。私はこれを祝福する。そして私は、このセッションのシリーズをアラン・ワッツの思い出に捧げたい。”(p242)

ご興味を持たれた方は“ The Book: On the Taboo Against Knowing Who You Are ” は邦訳 「本・タブーの書」として日本語で読むことが出来るので一度読んでみることをお薦めします。

正法眼蔵 現成公案 00 (ZENと道元禅師についての最初のページへ)

Dogen continues:
道元禅師著「正法眼蔵(現成公案)」から”続引用”

” When we look around our boat on the mountainless ocean, we see nothing but the circular shape of the ocean.”
たとへば、船にのりて山なき海中にいでて、四方をみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることなし。

 

” But this large ocean is not circular or square; its other shapes and movements are innumerable.”
しかあれど,この大海,まろなるにあらず,方なるにあらず,のこれる海徳つくすべからざるなり。

 

” To fish it is like a palace. To celestial beings it is like a necklace.
Only as far as the eye can reach, does it temporarily appear circular. “

宮殿のごとし、瓔珞のごとし。
ただわがまなこのおよぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。

 

” This is also the case with all things. All things worldly and unworldly have various aspects,
but we can see and realize them only through practical understanding. “

かれがごとく、万法もまたしかあり。
塵中格外、おほく様子を帯せりいへども、参学眼力のおよぶばかりを、見取会取するなり。

 

” However far fish sail in the water, there is no end to the water.
However far birds fly in the sky, there is no end to the sky. But neither of them has ever left the water or the sky.”

うを(魚)水をゆくに,ゆけども水のきはなく,鳥そらをとぶに,とぶといへどもそらのきはなし。
しかあれども,うをとり,いまだむかしよりみづそらをはなれず。

 

” When their need is great, there is great activity;
when their need is small,there is little activity.Thus they never fail to express their full ability in each thing, and exert their free activity in each place. But as soon as a bird leaves the sky, it dies. This is also the case when a fish leaves the water. “

只用大のときは使大なり、要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭に辺際をつくさずといふことなく、処処に蹈翻せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづれば、たちまちに死す。魚もし水をいづれば、たちまちに死す。

 

” We can realize that the water is life to the fish;
that the sky is life to the bird; that the bird is life to the sky;
the fish is life to the water; that life is a bird or that life is the fish.
About this there may be many other expressions “

以水為命しりぬべし、
以空為命しりぬべし。
以鳥為命あり、以魚為命あり。
以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。
このほかさらに進歩あるべし。

 

” In the human world there are practice and elightenment, or long life and short life. This is also the real state of things. Nevertheless, if a bird or fish tries to go through the sky or the water after knowing it completely, it will find no way to go along or no place to attain.”
修証あり、その寿者命者あることかくのごとし。
しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにも、みちをうべからず、ところをうべからず。

 

このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。
このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。

 

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